秘密日記
更新日 2005年7月10日

○ 2005年 4月22日 バンコク遠征「第2回バンコクスケートツアー」(詳細写真あり)

池田の大会などの春のイベントとカブらないように、この旅行をじっくり計画してきました。
昨年10月にも行ったのですが、バンコクの魅力は、第一に旅費が安い。異国情緒あふれる町並み。なにより、雨季・
乾季とハッキリしているので天気が読める。折角海外に行って雨・・・昨年5月に行ったソウルは初日が雨でした。
そういうのって幹事泣かせなんですよね。まぁバンコクなら仮に雨が降ったとしても暑いのですぐ乾くし。この苦しみ
は幹事じゃなければわからないでしょう。これは大会の主催者にも言えることです。いかに晴れ男のスケジュールに合
わせられるかが勝負ですから。
(冗談じゃなくてそういうジンクスにすがる時があります。それだけ晴れて欲しいんです。真剣なんです)
前回同様、東京組もお誘いしたのですが、当日はどうやらアメローカルのバートスケーターが結婚式を挙げられるそう
で、NGとなりました。スケーターのみなさん、4月5月に結婚式を挙げないほうが良いですよ。それと各イベント主
催者の方々、日程調整は念入りに。
池田の大会が終わった翌週に海外旅行。なかなか充実した4月末になりそうと判断したこのスケジュールは意外な展開
に。2月下旬のある日、私の家に一通の金ピカの封筒が・・・おい、まてよ、ひょっとすると。
そうです。浜松の友人からでした。おそるおそる封筒をあけると・・・4月17日挙式・・・池田チャレンジカップの
日と同じ。はぁ〜。
大会まではまだ2ヶ月ある。大会日程の正式な発表もされていない。今までなら運営のみなさんと相談し大会日程を動
かせる時期ではあるけれど、池田大会の運営を杉田健一くんや辻隆くんへ引継ぎいでしまっているだけに、もう私の個
人的な理由でもって日程の変更ができるはずもありません。お願いできる立場でもないし。仕方なしに(すまん)友人
を祝福することにしました。仕方無しに・・・という考え方に天罰がくだったのでしょう・・・不幸はつづくものです。
3月6日に小牧でかるく運動していたときにプラットホームにゴリゴリにワックスが塗ってあるのを忘れ、バックサイ
ドロイヤルのいなし方をまちがえて右足の内側靭帯損傷。全治1ヶ月!
スケートをやってきて今までで一番大きな怪我です。わたしはこのバンコク旅行までになんとか治そうとリハビリに専
念しました。おかげで膝をひねることは厳禁ですが、ハーフパイプを漕げるまでに回復しました。これも目標をもって
リハビリをした成果です。きっと仏様がそう導いてくれたのだと思います。友人はお坊さんですので。お寺の結婚式は
なかなかに風流。彼のお寺での式に参列したあと、浜松のアクトシティーのオークラで行われた披露宴に出席。
酔ってピアノを弾いて2次会へ。2次会では結構楽しませてもらいまして、ベロベロになって浜松駅へ。
浜松から名古屋に帰る新幹線で寝過ごして京都まで行って行ってしまい終電も終わって京都タワー横のホテルで一泊し
て帰ってきました。翌日ネットを見ると「池チャレカップ楽しかった」とかいろいろ書いてあったので、大会のほうも
問題なく盛り上がって終わったんだな〜と一安心。運営側はその後報告すべきところに報告するまでが大変なんですけ
どね。そして池田チャレンジカップが終わった5日後・・・国外逃亡とあいなりました。
今回のテーマ「私たちのゴールデンウィークは1週間前から始まります・・・」ということでだんだん参加者の皆が浮
かれてくるのがわかりました。
メンバーは藤原昭宏(イエロー)、宗像伸枝(しゅーぞー)、藤原玉野、山口和也(たいこ)、河内通人(ACE)そ
して私の6名。いや、現地在住、現地合流の清利理久くんを含めると7名。
初日。通勤通学ラッシュの地下鉄にスーツケースをゴロゴロさせてケンダマ片手の私とACEくん。金山へ向かう。
金山からは奮発して全車指定席の名鉄空港特急ミュースカイで空港へ。関空特急(はるか・ラピート)に比べると座席
が前後にすこし狭い感じ。ということは1両あたりの座席数が多い。それなのに荷物置場が噂どおり少なくて困ってい
る人も。車内は大きな液晶画面で先頭車両の映像とスピードメーターと字幕ニュースが流れていて楽しい。それに名鉄
特有の柔らかいバネはフワフワした乗り心地。30分も経たずに空港につきました。関空のように海の上を通るのです
が、橋は短め。あっというまに空港。駅の改札を出るとそこがアクセスプラザと呼ばれる空港の玄関。
出発ロビーに行ってみると意外に狭い?というか、かなりこじんまりしている。ゆとりが感じられない。名古屋空港国
際線ターミナルと同じくらいの広さだろうか。名古屋空港時代とは違い、国内線のカウンターも一緒になっているので、
それを考えても、かなりコンパクトに作られていると言えます。
まさにトヨタ式といいましょうか。ムダ・ムラを省いて平準化してかんばん方式してます。(用語を並べてるだけ)
出発ロビーの旅行会社カウンターの前で全員と無事落ち合って、航空券をゲットしたあと、タイ航空のチェックインカ
ウンターでスーツケースを預けてテーマパークのような例の4階の買物エリアへ。金曜日なのでさすがにガラガラでし
た。本屋で前田慶次郎の本をゲット。前田利家の甥です。そのあとは外にある展望デッキへ行って記念撮影したり。
ケンダマしたり。レストラン街をみてまわったり、銭湯は朝8時からやってるのを確認。帰りに寄りたいなぁとかそん
な話をしてから免税店ゾーンへ。相変わらず化粧品くさい。そうそう、ケンダマは売ってませんでした。
いろいろ冷やかしが終わったところで搭乗口へ。タイ航空の午前発の直行便。そこそこ大きいエアバスの飛行機です。
見せてもらおうかA330の性能とやらを!・・・話がガンダムっぽくなりそうなので、戻そう。
席は横一列ではなくて、塊っぽく配置してもらいました。離陸するといよいよ機内食。私の言いつけどおり、全員が朝
ごはんを抜いてきたらしく、どんな機内食でも美味に感じるという力技。そしてすきっ腹なのにこれまた私の言いつけ
通り全員ビールとワインをスッチーにお願いしている・・・いやなグループ。
普通、どっちか1つでしょ?・・・しかもビールは全員シンハーの銘柄指定。加熱処理されたダイレクトで濃厚な喉ご
し。日本は生ビールが多いけれど、こういうパンチの効いたビールはまさに南国にぴったり。もちろんすぐにベロベロ。
全員テンション高い。ビール3缶くらい飲んでワインを飲んで。途中で結構飛行機が上下して気持ち悪くなったり。
喋ったり本を読んだりゲームボーイしたりして、ちょっと退屈になってきた・・・というくらいに着きました。
到着ロビーでは旅行会社のガイドさんと無事合流。と言ってもガイドさんは空港〜ホテル間の移動の時しかお世話にな
らないんですけどね。空港内で25000円を両替し、今日泊るホテル、インペリアル・クィーンズパーク・ホテルへ。
もう3回目です。遠くに来た感じがぜんぜんしません。ボーイが荷物を部屋まで持ってきたので、チップをわたして、
パスポート・航空券・日本円などをセーフティーボックスへ。相部屋のACEくんと共通認識できる番号「1080」
をセットしてロビーへ。○○・○○〜は却下。
買物がてら隣の公園を散歩。ちょっとしたスケートボードが遊べる広場があってレールなどが置いてありました。
スケボーばかりでインラインはいなかったけど、ちょっと滑っても面白かったかもしれない。冷やかしてからショッピ
ングセンターへ。女性陣は水着を購入するとのことで(結局買わなかったらしいが)我々は家電や本屋やCDショップ
やゲームセンターを冷やかし。ムシキングがあったらカードを買って甥っ子のお土産にしようと思っていたのに。残念。
ヴィトン前で女性陣と待ち合わせをして、ホテルに戻る途中のコンビニでビール等を購入。外に出るとタイコ君が地元
の人に同化して現地人となにやら話している。妙になじんでいました。ホテルへ戻ると、ロビーでくつろいでいる清利
くんと合流。半年振りです。荷物を部屋においてから彼オススメのタイフードレストランへ。屋外で暑いがこれもまた
雰囲気よし。7名のテーブルに4・5名くらいの店員がついた。料理はめちゃめちゃ辛くて撃沈。ACEくんだけが平
気そうでした。今回はムエタイを見ようと思っていたのですが、よい試合が組まれていなかったので、昨年も行った、
ニューハーフショーへ。初日のスケジューリングが結構大変だったんです。
レストランからニューハーフショーの劇場へは2台のタクシーで移動。今回は前回の反省から清利くんが携帯電話を用
意してくれていたので、はぐれること無く動き回れました。ニューハーフショーの近くの妖しい照明のカフェの前でタ
クシーをおりました。そこは歓楽街。カフェの外でお茶していた女性達が私達を見て立ち上がり、声をかけてきそうな
雰囲気に。しかし、後からたまのがタクシーから出てきたのを見ると退散していきました。
よかった・・・その気がない場合は女性と一緒に行動すると面倒がなくて済みますね。
ニューハーフショーは黄色い人と私は2回目なので眠くて、ホテルへ帰ってから、風呂はいって寝ました。気持ちよく
熟睡。女性二人はホテル内にあるジャズバーで生演奏を聞きながらしっぽりと飲んでいたようです。ようやく長い1日
目が終了。
2日目、朝食後に初バンコク組は市内観光へ。私と黄色い人はそれぞれ単独行動。
私はプールでカロリー減らしtoプールサイドで読書、ハンバーガーの昼食でリゾート気分。木陰のチェアに座れたの
で読書がすすみ、あまり日焼けもせず、風もあって心地よくて最高でした。泳いだ後は近くの店でお土産とか買って、
部屋に戻ると眠気が襲ってきたのでそのまま部屋で昼寝。イエロさんは一人で朝から電車にのって繁華街へ行き、秋葉
原のようなところで怪しいビデオとか怪しいゲームなどを探して、デパートのフードコートかどこかで食事をして戻っ
てきたようです。海外一人飯メイクです。一人で行動することに楽しみを覚えたようです。観光組4人は観光後に清利
くんにつれられて食事に行って2時半くらいに戻ってきました。スケート支度をして3時にロビーで全員集合。ウェル
カムドリンクのタダ券があったので、ここで使用。少しくつろいでから全員でパークへ出発。ようやくスケートです。
パークへはBTSと最近できた地下鉄とトゥクトゥクで。トゥクトゥクはヤッターマン状態で箱乗りしました。アホで
す。握力がつづかなくて落ちそうになりましたか。パークに着いたはいいけれど暑いので事務所でちょっと涼んでから
滑り始めました。パークを囲むように銀行のビルが建っていて、そこで陽が陰りはじめたらしめたもの。ようやく動け
るようになりました。たまののニューブーツがカッコよくて恨み。私はあまりグラインドをせず、ボール部分になって
いるRを使って加速を味わって楽しんでいました。みなさんバテてきて、観客席の上の風通しの良いところでスケート
後は涼んでました。さらに清利くんはトイレのビデのシャワーで汗を流したそうです。向こうのトイレは便器のなかか
ら小さいシャワーがでてくるんじゃなくて、風呂にあるようなシャワーが便器の横にあって、1mくらいのホースでつ
ながっているのです。それにしてもスゴイ実力行使です。みなさんもタイやマレーシアに行ったときはぜひお試しアレ。
涼んでいた頃、ようやく夜になってきて地元のスケーター達がガンガンスケートをし始めました。
滑り終わって、夜は屋台街とナイトマーケット。一人一人がクーポン片手に、それぞれが言葉の壁を乗り越えて、それ
ぞれが買ってきた料理をテーブルの上にならべて充実した食事となりました。乾杯の後、しばし歓談し、食事を続けた
い人は食事をつづけて、買物が長いであろう女性陣は早めにマーケットで買物してこーぃ。って感じ。念のため女性陣
に携帯を渡しておきました。携帯電話最高。次回からは全員持て!(無理)私はしばらく歓談して、買物から戻ってき
た黄色い人がムエタイのグローブを300バーツで買ったということを聞き、私も甥っ子へのお土産にしようと思い、
ACEくんとマーケットへ。黄色い人よりも小さいサイズを探すのに多少手間取ったが、なんとか発見。最初1200
と言われて、頭にきたので帰るフリ。店員が電卓を持ってきたので私が入力しようとするとACEくんが横から入って
強気の「200」の数字を入力!提示価格の6分の一じゃないか!黄色の人が買った価格を知っていたので強気で交渉
できたとはいえ、彼が一緒に値切ってくれたおかげで結局300で買えました。感謝!
今回のぜひとも買いたかったC−SHOCKは売ってませんでしたがBaby−Cが売ってました。買いませんでした。
買物も終わり料理も終わってホテルに戻ってジャズバーで今日の反省会。私はいつものごとくシンガポールスリングを
飲みながら(女っぽいかも)夜はふけていきました。部屋に戻る時、エレベーターに招かれざる客が侵入するハプニン
グ。あわてて違うエレベーターに乗り換えると動揺している我々に白人女性が私たちをからかって脅してきました。
その悪戯もユーモラス。そして31階にある私とACE君の部屋で再度反省会。シンハー、チャン、レオ、タイガーな
どの東南アジア銘柄のビールを飲みながら、地元のスナック菓子をつまみにウダウダ喋って就寝。
3日目。皆は朝食の要領を得たのか、洋食じゃなくて麺とかお粥とかをメイク。その後、私以外のメンバーはウィーク
エンドマーケットと民族衣装での写真撮影へ。私は朝方プールで軽くカロリーを減らしたあと、タイ古式マッサージ
(全身)に行ったのですが、雰囲気が途中から怪しくなり「ホテルいっしょに行こう」と誘われて、歳もいってそうだ
しタイプじゃなかったので(そういう問題かよ!)マッサージだけで帰ってきました。決してそのような店じゃないん
ですけどね。やっぱりこの国は女性のほうが安全のような気がします。男一人で歩いてると誘惑が多すぎます。
ウィークエンドマーケット組がホテルに戻ってきたので、ACEくんとしゅーぞーと私は今日もスケートパークへ。
今日は地下鉄に乗らずBTSとトゥクトゥクをつかまえてパークへ。曇り空で風もあったので昼間から滑れました。
しばらく滑って、ハンドにもソールで乗って、調子がでてきたので540をまわしたら膝がチクっとしたので私はここ
で終了しました。涼しい場所で氷で冷やして観戦モードです。去年会った台湾スケーターのエンジューに再会。彼が、
私の中国読みを教えてくれました「リンムー・ルン(鈴木 潤)」いやぁ。かっこええなぁ。
でもやっぱり「るん」なわけね。
今度いつ会える?と聞かれたので「テレビの中で」と冗談を言っておきました。で、次はいつ来られるのだろう。
タクシーで帰ろうと思ってパークを出ようとすると、タクシーでスケボーかな?BMXかな?のライダーが到着して、
そのタクシーを捕まえて近くのBTSの駅まで行くことに。するとそのライダーたちが一生懸命私達の為に運転手に駅
の場所を説明してくれてました。タイのタクシーの運転手は英語がわからなかったり、読めなかったりするので、日本
で購入したガイドブックの地図を見せても英語しか書いてないのでわからないことがあるんです。若者達に感謝。
それにひきかえ日本人は外国人を助けてるだろうか?ちょっと恥ずかしくなりましたよ。
ホテル最寄のBTSの駅プロンポンに着いたのが集合時刻だったので、遅れる旨を清利くんへ電話をしてホテルへ戻り
ました。最後の食事はホテルの近くのタイフードレストランへ。ここは2年前に私と彼女さんで来たお店です。
メニューは大きな写真が載っていて、英語も書いてあるので何となく注文できるようになってます。
激安ではないですが、高くもないし。雰囲気もいいし。写真があるので赤いのがあまり無い(辛くなさそうな)料理を
みつくろって注文しました。タイチャーハンが美味しかったです。ここでの話題は、最後の晩餐らしく、皆にバンコク
の感想や、今日は何をやったか?ということを聞きました。タイコくんとイエロさんはプールでおよいでハンバーガー
とビールをメイク。たまのは清利くんにつれられてスパにいってセレブしてきたようでした。
私たち3人は皆にパークの話をしました。10月に会った台湾スケーターのエンジューが来てたとか、膝をちょっと痛
めたとか、BTSでアレグリアの着メロのタイ人がいたとか、パークの出口のタクシーで若者に助けてもらったとか。
みんなの話をきくと、それぞれに楽しんだようで、その話を聞くのも結構楽しいものでした。マッサージでヤバイこと
になりそうだった話はそれとな〜くしておきました。
ホテルに戻り、ロビーで名残惜しくも清利くんと再会を約束してお別れ。
急いでシャワーを浴びて荷造りをして、わざと集合時間より30分おそくロビーへ。
ガイドさんちょっと怒ってる?
だって前回もそうだったけど、空港ってかなり暇なんですよ。だからわざと遅れて行ったのです。
空港について車から降りると、そこには清利くんがしゃがんでタバコ吸ってました。どうやら知り合いを迎えに来たよ
うでした。清利くんはガイドも入ってこないようなゾーンまで一緒につきあってくれて、最後の最後、出国審査の手前
の身体検査の直前までついてきてくれました。本当に今回の最後のお別れをして免税店ゾーンへ。
皆さんはバーツを円に戻していましたが、前回同様、私と黄色の人は戻しませんでした。そのうちまた来るような気が
して。それがバンコクなのかプーケットなのかどこなのかは不明としてもタイにはまた来るだろうということで。
免税店ゾーンに入ったはいいけどやっぱり暇。すでに街中でお土産の買物は済んでるし、夕飯も食べてしまったし。
結局フルーツのドリンクを飲んでウィンドウショッピングをして時間をつぶしてから搭乗口へ。
行って見ると、おもいっきり空港の反対の搭乗口に変更になっていた。かなりの距離を歩かされる。
古い空港なので動く歩道なんてない。新空港早く出来てくれよ。2005年春、開港予定じゃなかったのかよ!
時間のおおらかさに呆れるばかりだぜ。タイ・恐るべし!
ゲートの近くの座席でみなさんグッタリ。しばらくして搭乗開始。満席じゃなかったので後ろのほうの空いている席へ
移動し、寝る体制へ。離陸後すぐにウトウト眠くなってきて寝てしまった。
気がつくと着陸態勢。あれ?妙に暗いなぁ・・・窓の外をみると見覚えのある字体。
戻ってきた。飛行機内が焦げ臭い。機体のトラブルらしく、バンコクの空港へトンボがえりしたらしい。
寝てたのでアナウンス聞いて無かったよ。みんなと離れた席にいたし。
そうだ!航空機遅延の保険に入っていたのだ。どういう書類を用意して、どういう条件だと保険金がおりるか一斉に調
べ始める目ざとい私たち。
空港につくとすぐに換えの飛行機が用意されていてバスに乗り込み同機種のA330に乗り換え。再度寝る場所を確保
し、横になって6時間。かなり退屈。
着陸後に携帯の電源を入れるとメールが50通・・・現実に引き戻されました。予定時刻より2時間遅れ。
タイコくんはセントレアの湯に入ってから帰ったようです。結構普通だったようです。露天風呂がなかったので物足り
なかったようです。
ACEくんと私は速攻でミュースカイで帰りました。私は金山で地下鉄へ乗り換え。ACEくんとお別れしました。
彼はそのまま名古屋まで行き、近鉄アーバンライナーのデラックスシートで大阪へ帰ったようです。新幹線だと高いし、
乗り過ごすかもしれないということで賢い選択。私は家の最寄の地下鉄の駅まで彼女さんに車で迎えに来てもらい、そ
の足で牛丼屋へ連れて行ってもらいました。醤油ベースの味付けのごはんモノが食べたかったのです。
しかし、食事が高いね、日本は。牛丼屋で思うんだからそりゃもうおかしな感覚ですよ。
昼食後、家に帰ってテレビをみながらずーっと昼寝しました。その朝におきた尼崎のJR福知山線の列車事故の報道が
さかんにされていました。
今回の旅行は、朝食・スケート・夕食以外はほとんどバラバラの状態で行動したので、その分、清利くんに負担をかけ
てしまったことについては申し訳ないなぁと思うと同時に感謝感謝でした。
でもそのうちまたお世話になると思います。腐れ縁だと思って諦めてください。
・・・スケート?あまりしていないかも。
でもスケートがまったく無かったら、こんなに楽しい旅行になったでしょうか。



○ 2005年 5月1日 41回目の富山は第9回裏日本選手権 in 南砺市(NEWS記事)

ゴールデンウィークはやっぱり裏権!ちょっとピクニック気分で出かけられるイベントとなっています。
私は裏々権、裏JAM含めて皆勤賞をなんとか続けています。
裏権といえば、富山桜ヶ池。城端町は市町村合併の関係で南砺市となり、ファンキーな建設課はいずこへ?
正直このパークの存続がどうなるのか、かなり不安でした。しかし地元のスケーター達の努力もあり、継続の方向で決
まったようで、とにかく胸をなでおろしました。全国一スケーターが集まる大会が毎年開かれているんですよ。ここは。
さて、裏権の魅力。それは前日入りして楽しむことだと思います。(みんな南砺市に金を落として行け!)
大会当日というのはあまりスケートが出来ないので、大会前日に皆とガッツリ練習して、疲れて、ビール持ち込みで温
泉はいって、コテージで鍋をつつきながら宴会して、酔いつぶれて大会に臨む。
しかしながら、歳かな?宴会に興味がなくなった?若者の宴会についていけなくなった?コテージに飽きたのかな?
いや、桜ヶ池だけじゃなくて富山を楽しみたい!とか思うようになってきまして、今回はコテージには宿泊せず、新湊
市の藤原玉野さんのお宅に宿泊することにしました。バンコクツアーの反省会もしたいということで、イエローさんと
タイコくんとしゅーぞーの4名で行こうと思っていましたがしゅーぞーがダウン。
検疫の黄色い紙もって医療機関に行ってください。(ウソ)
裏権前日の朝、イエロさんが迎に来てくれて、西春でタイコ君を拾い、2車線化がすすんで快適な東海北陸自動車道で
北上。大人になって安全運転になった俺を見てくれ!快適なドライブ。荘川インターで下りて下道。
そこからずーっと下道。五箇山トンネルも久しぶりに通って桜ヶ池へ。桜ヶ池に10時ごろ到着。
駐車場にルイスのワンボックスと、河合洋介くんのワンボックスが停まっている以外は他の遠征組はいない。
しばらくして相方克彦くんと木村佳樹くんと末長悠くんの乗ったワンボックスが到着。そのメンバーで滑り始める。
木村佳樹くんのバート(縦回転もかなりうまい)や、相方克彦くんのバートの720(マックっぽい)やフロントフル
キャブのロイヤルとかよいものを見せてもらいました。
タカが仕事中に覗きに来たが、夕方になっても地元富山ローカルはぜんぜん来ない。
浅倉くんはいつも前日に張り切りすぎて怪我をするので、今日はやめたらしい。
夕方、玉野が到着し、コテージではなく、クアガーデンの温泉に入って、さっさと出て畳のところでビール飲んでまし
た。イエロさんの車はパークにおいて玉野の車で新湊市へ。帰り際にきときと寿司へ行くも混雑して並んでいたのでお
持ち帰りにして玉野さんのおうちで宴会をしました。もちろん「いつもの大トロ」もゲットです。
夜はバンコクの清利くんへ国際電話したり、いろいろ世間話をしました。
すみません。女性の家に男性ばかりで押しかけてしまいまして。よく寝ました。
さて、当日の朝、会場につくといるわいるわスケーター達。80名近くがエントリーしているらしい。
MCを依頼されていたので、いじるネタ帳を携えて臨みました。それにしても80名は多いので、A、Bグループは、
私が担当し、Cグループは浅倉くんへお願いしました。まぁ大村嘉伸くんとか安井夏くんとか末木拓朗くんなどもいた
ので、私が全部やら無くても代わりはいくらでもいる。本当は全部やってもよかったんですけど、聞いてるほうが飽き
ると思うんですよね。80人分、同じ人が話していると。それであえて交代したということもあります。
開会式までに時間があったので、深沢さんにFIZIKISの工具を頂いたお礼をし、EASEの小林の賢さんが協賛
していただけるとのことで主催者の崎山くんへ紹介。佐藤一生くん(リフレクト)も協賛いただけるとのことで、これ
また崎山君を紹介。杉浦敦志くんから預かっている協賛費を崎山くんへ手渡し。すべて協賛側からの申し出でした。
大きな大会はうらやましいです。
久しぶりにジロー(OMOCOMO)&稲井ヨーコちゃん(ごめん、苗字はかわってるはずだが)は、めちゃめちゃ久
しぶりでしたね。いよいよ開会式もおわり、ランが始まりました。私のMCも自然とテンション高くなりました。
自分にできるかどうか不安なほど、久しぶりにMCをしました。北陸のスケーターは私にとってイジりやすい人が多い
ので楽しめました。ABCの3グループに分かれて予選をするんですが、私は早めに終わりたかったので、Aグループ。
怪我をしているのでバートは辞退でストリートのみエントリー。しかしながらファンボックスでのエアーの横回転も出
来ないし膝の関係でロイヤルも出来ない。ストレートエアーとソールグラインド、レギュラーグラインドのみで参加。
技の難易度が無い分、スピードとライン取りで会場の人を飽きさせないようにするのに頭を使いました。
当然成績は振るいませんでしたが、ちょっと変わったランが出来たのでよかったと思います。
私のランの時はパーヤンがMCしてくれました。感謝。
ビールを早苗さん(田中孝明(タカ?イカ?)の嫁さん)のクーラーボックスへ入れさせてもらっていたので、自分の
ランが終わるとビール片手にMC復帰。すごいスケーターがいっぱい出てきて彼らのMCをやらせてもらえるなんて、
私はなんて幸せ者なのでしょう。コロコロがふらふら〜っとやってきて、カーキ(今井一樹)とダブルスで滑りたいと
の申し出。そのあと伊藤千秋&中山慎太郎が一緒に滑ったりと、見所は満載。新潟の王子(高林伸行)は相変わらずお
祭りの大会で実力を発揮出来ない体質。FILAくんをイジリすぎてあとで苦情をもらったり。早川智久氏のときには
かなりの観客がハンドレールを取り囲み声援を送った。彼は97年10月オープニングイベントの時のデモンストレー
ターであり、裏権2ではゲストとして桜ヶ池に来ていて北陸では特に人気があるスケーターなのだろう。
江夏くんのランの頃から雨が強くなってきてやばかったですが、ファンボをTシャツで拭いてもらい、ドロップインか
らファンボまで行く間にも雨がつかないようにスケーターたちが寝そべって体を張って雨から滑走面を守り・・・彼が
ドロップインすると、寝そべっていたスケーター達が次々とどいていく。綺麗なシーンでした。
結局ストリート予選1RUNのみで決勝なし、バートもなし。ロングレールは伊藤千秋が貫通し優勝。
安井夏くんや相方克彦くん、伊藤千秋くんと5月末のAsianXの宿泊先のお話をして、そうか、まだみんな飛行機
も手配してないしホテルも手配してないんだ・・・みたいな話。閉会式はなし崩し的にに行われまして、今後に課題の
のこる形となりました。これも勉強です。私も勉強しました。お昼ごはんは早苗さんからもらいました。ありがとう。
DEEPORT深沢さんと世間話をしている時に、今日明日に産まれることをいうと、めちゃめちゃ叱られました。
まだ明るいうちに帰宅の途につきました。ひるがの高原のサービスエリアの生姜焼定食(疲れたときはこれ)を食べて、
美濃くらいまで全然明るい。こんな景色だったんだ・・・変な感じ。
日が暮れてきた夜の7時過ぎに家に到着。家は真っ暗。彼女さんがいない。おそらく産気づいて入院したのでしょう。
私は疲れていたし、そういえば病院の場所もわからない。
私に心配かけないようとの配慮か?入院したことに関するメールも貰っていなかったので、彼女さんのその行為に甘え
て就寝。翌日の2日に娘さんが誕生しました。聞かされたのは3日の日。



○ 2005年 5月 Asian X Games 出場(NEWS記事)

念願がかないまして4度目のAsian X-Games参戦。今年からはソウルで行われることになりました。
私の彼女さんは5月2日に子供が生まれて1ヶ月も経っていないので、娘さんと一緒にお留守番。
今回は私一人で行くことになりました。一人とはいうものの今回初出場決定のACEくん(大阪在住)とソウルの仁川
空港の到着時刻がほぼ同じの飛行機を、それぞれ関西空港発、中部国際空港発で予約して、現地で合流する手筈。ホテ
ルはショッピングや食事が便利な明洞地区(繁華街)を選びました。会場までは遠いですが地下鉄が整備されている街
なので心配なしです。地下鉄の駅に近ければどこでもOKという感じ。安井夏率いる関東出発組の伊藤千秋、中山慎太
郎、コロコロも私と同じホテルを予約してくれました。そして相方克彦君へも事前に連絡して、ASPO組(金島さん
と総一郎くん・相方克彦・井口皓一くん達)も同じホテルを予約。ACE君は彼女さんをつれての旅行なので、私達が
とったホテルにほど近い、ダブルルームばかりのホテルを予約していました。ラ・ラブホ?でもネットが整備されてい
るホテルのようで、日本への情報発信は彼にお任せしました。
1日目の木曜日。朝早く家を出てお義母さまに駅まで送ってもらい、地下鉄名城線と名鉄空港線を乗り継ぎセントレア
へ。7時半にカウンターに来るように言われていたのに、家を出たのが7時少し前。さすがに30分では着かないっす。
ヤキモキしていた旅行会社のスタッフさんから航空券などを手早く受け取り、大韓航空のチェックインカウンターで席
の確定&スーツケースを預けて、スカイラウンジの本屋で「藤堂高虎」をゲット。渋すぎる。遅く空港についたのが功
を奏しすぐに搭乗開始。いざ大韓航空(ペプシのような色をした飛行機)でソウルへ。機種はボーイング777。比較
的新しい大型の機種。エコノミーなのに足置きもあるし。ガラガラだったので座りたいところへ移動。二人座席を一人
で占有。機内食はかなり美味(空腹作戦が功を奏している)で、韓国のビールも久しぶり。どのビールも飲みやすい感
じ。バドワイザー風とでも言いましょうか。濃厚なのが好きな人はちょっと残念かも。
今日は選手受付登録だけで練習もないのでもう一本もらい、機内食をつまみにしながら本を読んでゲームボーイして。
あっという間に仁川。ちょっと飛行機の到着がおくれて空港内を走って移動。
スーツケースをゲットし到着ロビーでACEくんとACEくんの彼女さんと無事合流。ロビー近くにあるレンタル携帯
電話のカウンターで電話をゲットして前日入りしている夏くんへ連絡。なぜか通じない。後でわかったのですが番号を
間違えていただけでした。
今回は旅行会社のお出迎えなどない硬派な海外旅行。バスターミナルでホテル近くまで行くリムジンバスを探し乗り込
みました。当初は直接会場に行く予定でしたが、まぁ時間もあるしホテルへ行って荷物を置いてから会場へ行くことに
なったのです。席はやっぱり一番後ろを占拠。バスは高速道路を飛ばしソウルの街中へ。ホテルに到着してチェックイ
ンが終わったあと、コンビニでビールを買い込み冷蔵庫に放り込んでホテルの前でACEくん達と待ち合わせ。地下鉄
で総合運動場へ。ここは過去にオリンピックの会場となったところで野球場や多目的スタジアム、水泳場などがある大
きな公園。レジストレーションで選手登録。来るはずの選手の名簿と写真がある。岩田周平の写真がちらっと見えた。
(私はこれから誰のご飯を横取りすることを楽しみに生きていけば良いのだろう・・・サンタマリアあたりか?)
いろいろな記入事項があるので、ここで便利グッズ「電子辞書」が大活躍。
書類提出の係りが女性の中国人の方だったので、「リンムー(鈴木)ルン(潤)」と言ったら通じたようで笑ってくれ
ました。その彼女に手首にアスリートの証をつけてもらいストリートの会場の選手控えへ。
アジアのスケーターの懐かしい面々と再会。タイのジュラサックタッソンとはバンコク旅行の時も会ってるのもあり既
に顔見知りで向こうから挨拶してくれた。ストリートセクションでは既に練習時間が始まっていた。
なぜかマネージャーで来ている安井夏がガンガンに滑っている。しかも上手い。楽しそう。私も滑りたかったけど既に
飛行機の中で飲んで来たので遠慮しました。
予選開始。日本からは伊藤千秋、金島総一郎、相方克彦の国際プロに加え、中山慎太郎、コロコロ、井口皓一くんが参
加。会場全体を見てみると、タイのスケーターも少ないし、マレーシアも一人。台湾のスケーターも少ない。そしてア
メリカ、ブラジル、ヨーロッパからの選手が目立ってアジアの大会という感じがあまりしない。
ちょっと違和感。良いか悪いかは私が判断することではないけど、なんか・・・寂しかったです。
やっぱりニコラスがいないのが大きい?すきすーとのからみを見たかった気もする。あとジャッキーもいない。
木曜日だからでしょうか、観客が少ない。予選が始まってもなにか静かな感じ。村上健太郎くん(すきすきすー)と加
藤剛くんと久芳渉くんも会場に来てたので一緒に観客席で応援。千秋くんと総くんは無事予選を通過。中山慎太郎くん
は12位でした。彼のランはお洒落すぎて大きな会場で遠くから見てると少々わかりづらいのでは?と勝手に思いまし
た。勝手に思ってるだけなので気にしないで下さい。井口くんは13位。ヒコ兄は17位、反省してました。コロコロ
は23位でした。予選がおわるとスタジアムの外は真っ暗。夏君とオフィシャルリザルトを貰いに行って、地下鉄にみ
んなで乗りホテルまで。その夜はアメリカ軍で働いてる黒人スケーターのクリス、その連れの女性につれられて(強そ
うだった)豚カルビのお店に行きましたとさ。関東発組(夏、千秋、慎太郎、コロコロ)と、すきすー、加藤くん、久
芳くん、私とACEくんとACEくんの彼女さんの皆で。
ここで千秋くんのカルビの歌を生で聞きました。(ビデオ・LifeStyle5.1参照)
牛が食べたかったんですけど店が見つけられなくて、豚カルビのお店に入りました。夏君とACEくんとACEくんの
彼女さんと私は若者たちの隣のテーブルで大人のディナーしてました。
ビールも飲んで盛り上がって、それから夜の東大門へ真夜中のショッピング。さすがに私達バート組は明日から練習、
予選、決勝というスケジュールなので早めにホテルに帰りました。
2日目の金曜日。お昼前に会場入り。アスリートラウンジで食事。調子こいて食べ過ぎた。
ハーフパイプではスケートボードの予選が行われていて、小川元くんや馬目くん、中尾くん、久保田くん、佐野くんが
出場していました。今年もブラジルのサンドロディアスが来てました。スケボーのハーフパイプの予選が終わっていよ
いよインラインのバートの練習時間開始。大きなハーフパイプでエアーをするのに一苦労。グラインドするにも一苦労。
普段から大きなハーフパイプが出来る環境にいる若者達にひがみながら、そんなことを言っても始まらない。
いうても去年と同じつくりだからなんとかやるしかない。食いすぎで吐きそう。
1年ぶりのスロープからのドロップイン。結構な勢いがつく。しかし気持ちよい。こんなバートが家の近くにあったら
なぁ。と、エアーが普通に出せるようになって恐怖心から爽快感になったところで練習終了。
細かい調整は明日の予選直前の練習時間にやることにして今日はとにかく飛びました。
一晩たてば体がリズムを覚えると信じて・・・
ハーフパイプに慣れる作業というのは、やった人間じゃないとわからない胃の痛くなる作業なんです。最初は飛ぶこと
すらままならないこともありますから。ストリートなら苦手なセクションを使わないという手段もありますが、バート
は大変なんです。
鮎美ちゃんがアスリートラウンジに荷物を置いたままストリート決勝の応援に行ってしまったようで、日本人が誰もい
なくなると思い、デカいポスターの裏に「鮎美の荷物は預かった!」とマジックで書いて荷物が置いてあった場所に置
き手紙。彼女の荷物をもってストリート会場へ。会場には夏君がいるので「近くに鮎美ちゃんいない?」と携帯で連絡
しながら鮎美ちゃんを探し出して荷物を渡しました。
いよいよパークでAILのストリート決勝。タッソンが2ランとも爆死。個人的に千秋君がいちばんよかったですね。
テレビ番組的にも一番よかったのではないでしょうか。常に愛嬌をふりまき、テレビカメラを意識したパフォーマンス。
そして途切れないラン。フェイキーのスケーティングを使った滑らかな彼の動きを、オーロラビジョンでみると絵にな
るというか、カメラマンも彼をどう撮ったらよいか解っているようでした。
大会はあるいみ興行でもあるから(特にX−GAMESはテレビ番組)、彼はそれを意識して出来る人間なんだなぁ、
やっぱりプロだなぁと変なところで感心。(変なところ言うな!)
と、ここで、明日はバート予選なので、1ランだけみて退散するべくみなさんと握手してホテルに戻ることを伝えてお
別れしました。結果は夏くんから電話で聞きました。
ライアンがスピンのグラインドから3トリックいれてジャッジ大興奮で首位に。そのまま優勝しました。胴上げされて
いましたが、その後なぜか千秋くんも胴上げ。そんなノリ。千秋くんが3位。5位が総くんでした。
ACEくんとACEくんの彼女さんと私の3人でホテルへは直接戻らず明洞の駅で降りて石焼ビビンバとプルコギとチ
ヂミを食べて、かるくショッピングをして、歩いてホテルまで戻って就寝。メンバー的に予選を通過するのはかなり厳
しいことが予想できたので明日の予選が私にとって本番!しっかり体を休めるため早寝早起き!
3日目の土曜日。午前中から練習でお昼から予選。朝ごはんもあまり食べず、会場についてラウンジでバナナをもらっ
て、吐かない程度に胃にモノをいれてのぞみました。それプラス、リハビリの効果か?昨年と違い、ゼイゼイすること
もなく、あまり疲れませんでした。心肺機能や筋力はついている!だが技の精度が無さすぎ。精度がないとバートはど
うにもならない。あえなく13位に終わりました。9位、9位、11位、13位です。どんどん落ちてきてます。
バートからラウンジに向かうところでACEくんがファンの女の子に頼まれ写真を撮っていました。彼女さんがジェラ
シー感じて、ACEくん・・・彼女さんに蹴られてました。
アスリートラウンジでバート予選のオフィシャルリザルトが出るのを待ちながら遅い昼食。
そこでちょうどマレーシアのロッククライミングの協会の方がいて、マレーシアのクアラルンプール(KL)のスケー
トパークが何処にあるのか英語で聞いてみました。彼の名前はシャー。3倍のスピードで?
電話番号とメールアドレスをきいて、電話してくれれば案内するとまで言われて目的達成。KL遠征楽しみじゃ〜。
昔は繁華街のショッピングセンターの地下にパークがあったのですが現在は閉鎖されて、違うパークを探していたので
す。次の海外遠征はKLで決まりか?まずは偵察を兼ねていくつもり。
なかなかリザルトが掲示されなかったので、ずーっとラウンジでうだうだしていたら総くんがヘルメットを忘れて行っ
たらしく預かることに。もう日本に帰ったかな。日本に帰ったらASPOに遊びにいきがてらもって行こうかとか考え
てました。ACEくんがリザルトを事務所から貰ってきてくれて、会場を出るとまだ早い時間。ホテルに戻り、歩いて
明洞界隈へ。ロッテホテルの横にあるロッテデパートの免税店へ買い物へ。人が多くて迷子になりそうでしたが携帯電
話の本領発揮。露天でパイナップルの割り箸でさした奴を歩き食いしながらまた明洞を散策し、よい時間になったので、
牛カルビとハラミと冷麺のディナー。今日の予選で終わってしまったACEくん(11位)と乾杯。とにかくお疲れ様。
日本人があまりいない店で、自分で焼く店。ビールも飲んで33000ウォン。一人1000円ちょっとで牛焼肉をメ
イク。腹7分目くらいで辞めておきました。そのあと明洞餃子で餃子とワンタンメン。そう、これを狙っていました。
韓国グルメのはしごです。両店ともなかなか美味しかったです。ホテルの前でACEくん達と別れ、ひとりで東大門方
面へ出かけました。海外で一人行動。そんな時間も持ちたいというのが私の考えです。寂しがりやのくせにわがままな
んです。でも、ソウルは今回で3回目。とくに興奮することもなく空しさが残りホテルに戻って就寝。やっぱり一人行
動はさみしいなぁ。ストリート組(夏君たち)は夕方の便で帰国したようで、ホテルにはもういなかったし。
4日目、日曜日の朝。もう私は体調を気にすることも無く、自由の身です。朝の散歩・・・屋台でお粥でも食べようか
・・・とホテルを出ると加藤くんが座りタバコをしていました。あ、東京組だけが帰国したのか!ということはまだ岡
山組もいるのか!すきすー&久芳くんが道の向かいのロッテリアにいるというので、朝ごはんはその時点でロッテリア
に決定!片側3車線以上の大通りを突っ切る!やっぱりプルコギバーガーはメイクしておかないと。店内ですきすーと
久芳くんと会って、私は注文したプルコギバーガーができるまで椅子に座って待っていると相方くんが入ってきました。
彼の注文がくるまで一緒にまって、また道を横切ってホテルまで。どうやらみなさんは今日はボラメのパークへいくと
のこと。あそこのパークはヘルメット必須だったんじゃないか?ちょうど金島さんもいたので、ヘルメットを私の部屋
まで取りに来てもらい返却。私はバート決勝の見学。ACEくんとも別行動で一人で会場へ行きました。すると一緒の
電車に乗っていたらしく、総合運動場の駅で遭遇。アスリートラウンジについて涼んで食事をもらってマッタリ。
決勝はタグクリスやセサアンドラーデがダブルバックフリップで攻勢をかけてきました。セサアンドラーデやマルコは
ブラジルなんですけど、ジャパと知り合いのようで、一緒に写真をとりました。彼に伝えてくれるそうです。
エイトやタケシがいないとどうもスカーッとしないというか、なんとなく決勝が終わりました。
川崎鮎美ちゃんが5位でした。今回初出場の木村太貴くんは決勝7位。おめでとう。
鮎美ちゃんのお母さまに鮎美ちゃんのインタビューの通訳係をやったってほしいと言われてお手伝いしました。
こうやって書くとバリバリ英語できるっぽいけど、あまり出来ないからよろしく。
ラウンジでマッタリしてリザルトをもらってバート選手たちとお別れ。ACEくんとACEくんの彼女さんと私は大会
会場から二つくらい隣の駅(ジャムシル)のロッテマートでお土産購入ターィム!!!
コチュジャン、焼肉のたれ(BBQが楽しみだ!)を数個買い、韓国海苔は大量に入ってるのをACEくんと共同購入。
お菓子コーナーで会社用のお土産を購入・・・海外旅行のお土産はやっぱり地元の味の宝庫、スーパーマーケットで。
総額1万ウォン相当で購入。(すまん、安すぎか?賢い買物と言ってくれ。)
ACEくんの彼女さんの体調がよくなかったので、地下道でしばらく休むとのこと。彼が気を使ってくれて、別行動を
取ることになりました。よって、ここでACEくんと最後のお別れ。一人でホテルに戻りました。
もう日本人と会うことも無いんだろうなぁ。なんか今回は寂しいなぁ。プールも無いし(わけわからん)
地下鉄を乗り継いで、ホテルがある駅の階段をゲームボーイをしながら上がっていくと「じゅんじゅじゅん!」と呼ぶ
声が上から聞こえました。すきすきすーでした。すきすー、加藤くん、久芳くんと合流!外はもう暗くなっていました。
彼らを少し待たせて、コンビニでビールを数本買いこみました。久芳くんに「そんなに飲むの」と聞かれましたが、こ
れもお土産だというと納得してました。
ホテルの前にいくと金島さん、総くん、相方くん、井口くん、ASPOスタッフの方々もいまして、合流したらかなり
賑やかになりました。
どうやらソウルのスケーターZERO−Gに東大門の買物へ連れて行ってもらうようでした。私は皆と一緒に行動した
かったのですが、初日に東京組と東大門は行ったし・・・それにソウル最後の夜。別に行きたいところあるし。明日早
い便で帰るから夜遅くなるとマズイから、さっさと行動したいし。仕方が無い・・・今日も単独行動かな、と思ってい
たら、皆さんが私の行きたいところへ着いてきてくれることになりました。私がツアコンになったため、日本人スケー
ターたちを大会期間中、ずーっとエスコートしれくれていたZERO−Gとはここでお別れ。せっかくホテルまで来て
くれたのにごめんなさい。
ソウルの最後の夜をみんなで満喫して、道端でコンビニで買ったビールで祝杯をあげました。すきすーと久芳渉くんと
楽しかったソウルに乾杯!感動をありがとう!・・・終電になりそうだったので全員で東大門方面へ向かうべく地下鉄
へ。ホテルがある駅は東大門の先なので、皆は下車。車内でお別れの握手。本当に楽しかったです。
私は一人で電車に乗ったまま、ホームに降りた皆に手を振られて見送られました。

翌朝5時、ホテルの前の停留所から一人、空港行きのバスに乗り、8時の便で名古屋へ帰りました。
お昼に我が家に到着して娘さんをみると、すこし大きくなっていたような気がしました。



○あとがき

今思えば、Asian X−GAMESのときは全然膝の筋力が戻っていませんでした。
そしてこの大会以降、2005年の日記はありません。
大会が少なかったのもありますが、私自身、怪我をして筋力が衰えて練習もしなくなって。
ハーフパイプに関してはまったく練習をしていませんでした。
このままバートをやめようと思いましたが、8月にJASPAのMCをして、実際にマイクをもって
みんなが滑るの下から見上げていたら、
「もう一度あのプラットホームに選手として戻りたい!」
そう強く思い、11月までスポーツクラブに通い、毎晩毎晩リハビリに励みました。



一人で始めたインラインスケート。いつの間にか自分は人に名前を覚えてもらえるだけのスケーターになっていた。めでたし、めでたし。
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